廃線跡めぐり

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Vol.3   北海道編 [3] 学生時代の思い出、北海道のローカル線跡へ 〈2003/8〉

士幌線   帯広−十勝三股   [1988/3/22 廃止]

私が乗った頃の士幌線は途中の糠平から先は1977年に始まったバス代行運転になっており、有名な路線でした。 もちろん周遊券でも乗れ、本来の1日の乗降人員は数人だったらしいですが、「鉄」な雰囲気な人が結構乗っていました。

幌加駅跡

国道から少しそれた所に、ひっそりと残っていました。 ホームと側線も含めてレールが残っています。 後から本を読むと駅舎の土台も残っていたようですが、この季節は夏草が生い茂って発見できませんでした。



糠平湖畔と音更川のコンクリート橋梁群

この路線の名物になっているコンクリートアーチ橋群です。 コンクリート橋は戦前から戦中にかけて鉄資材の節約で多く作られたそうですが、現地で作ることができるという理由も大きいのではないでしょうか。 今のように、橋桁を運ぶ大きなトレーラーも広い国道もない訳ですから。 「コンクリート製」というと無味乾燥なイメージですが、長い間風雪に耐えてきたアーチ橋は美しく、立派な近代産業遺産です。


士幌駅跡

付近はすっかり痕跡がなくなっていましたが、駅は記念物として保存されていました。 美しい木造駅舎で内部には備品が、構内の施設もほとんど当時のままに残されていました。



白糠線   白糠−北進   [1983/10/23 廃止]

この路線は私が訪れた時には既にありませんでした。 1972年に全線開通し83年に廃止と、非常に短命に終わった悲運の路線です。 よく考えると東海道新幹線より新しく、森の中に立ち尽くす立派な新しい高架橋を見ていると、いろいろと考えさせられてしまいます。

とても廃線に見えないコンクリート高架橋群

川の所では路盤が単線の幅しかないことを除いて、新幹線のものにも見劣りしない立派な高架橋です。 建設当時は国有鉄道という立場で、採算だけで建設の是非を考える訳にはいかなかったのでしょうが、コレを僅か11年で捨てなければならなくなったとは、鉄道ファンの私ですら計画にムリを感じます・・・。


コンクリート桁と鋼製ガーダーをつないだ長大橋梁

途中には、こんな立派な橋梁もそのまま残されています。 1964年に先行開業した区間なので、少しは風景に溶け込んでいるようでした。

橋梁に続く大築堤

この付近は農地になっていないので、立派な築堤も崩されずに残っていました。 川を渡っていく気動車の姿が目に浮かびます。


標津線   厚床−中標津 / 標茶−根室標津   [1989/4/30 廃止]

「人」の字型に二又に分かれた線形ながら、1つの線名になっている珍しい路線でした。 乗りづらいダイヤでしたが、絵に描いたような道東の風景の中を行く路線で、その車窓に感動した記憶があります。

奥行臼駅跡

駅舎も構内配線も、当時のままに保存されています。 説明板や周辺の手入れの状態を見ても、地域の方の鉄道への愛着が感じられ大切にされているのがわかります。


厚床駅のターンテーブル跡

標津線のものではありませんが、起点の厚床駅にあったもの。 現在は、かつて機関区があった大きな分岐駅だったことが信じられないほど、寂しい駅になっています。

別海駅付近の西別川にかかる橋梁

歩行者専用の橋に再利用されていました。 前後には線路跡の面影は残っていませんでしたが、遺構がそのまま有効に利用されているのはうれしいことです。



根北線   斜里−越川   [1970/11/30 廃止]

私が生まれるより以前に廃止になり、最近までその存在すら知りませんでしたが、廃線跡巡りが話題になると未成区間にある橋梁が有名になり、一度行ってみたいと思っていました。

第一幾品川橋梁跡 (未成区間)

未成区間にあり、一度も列車が渡ることのなかった橋梁ですが、その姿は古代ローマの水道橋を思わせるものです。 昭和14年に完成したそうですが、戦時体制下でこの山中にこれだけのものを建設した苦労は想像を超えています。 みごとな10連のコンクリートアーチ橋ですが、現在は、国道にかかる部分の橋脚2本が撤去されています。



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