鉾田市街の温泉施設に保存された車両を見学した後、ホームがそのまま残る坂戸駅跡へ。 幹線道路や住宅街も近いのですが、駅周辺だけ林に囲まれており、まるで秘境駅といった風情でした。 駅前までバイクで行くことができ、付近には25キロポストも残っています。
巴川の橋梁(坂戸駅-巴川駅間・左)と、園部川の橋梁(小川高校下駅-常陸小川駅間・右)。 霞ヶ浦沿いの区間はほぼR355と並行しており、走りながら多くの遺構を眺めることができます。
ホームも上屋もベンチもそのまま残る、小川高校下駅跡。 路線廃止が論議されていたころ、地元の高校生達ががんばって存続運動を行っていたことが思い出されます。
貨物ホームと上屋も残り、まるで模型のような情景の駅だった常陸小川駅。 駅舎は解体撤去されて、バスターミナルとなっていました。 ただ、駅裏には当時から建っていた住宅も何軒かあり、当時の写真と見比べながら、何とか定点観測風の写真は撮ることができました。
線路跡は道路に転用されています。 石岡市街ではバス専用道路となっていましたが、このあたりは一般車も走行できます。 まるで待避線を再現したかのような線形が、線路と駅の跡であることを偲ばせます。
もちろん貨物上屋も残っていませんが、すぐ向かい側の倉庫は当時のままでした。 当時の愛車、初代キャンカーのキャラバンの後ろに写る倉庫は現役ですが、貨物ホーム上に木造の上屋が建っていた場所はバスロータリーになってしまいました。
「鹿島のカバさん」ことDD901が大きな口を開けて佇んでいた、側線の跡は駐車場に。 当時からある材木店と自動車ディーラーのおかげで、現在の風景との位置関係が分かります。
最後に航空写真で目を付けていた場所に立ち寄ると、やはり踏切跡の部分だけ線路が撤去されずに現存。 両側には、鉄道の廃線跡らしい、緩やかなカーブの築堤が続いていました。
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